櫻井翔がいかに尊いかの話。

皆様、御機嫌よう。

 

今日は愛しき櫻井翔様のお誕生日でございます。

 

37歳になられた櫻井翔様(以下翔様)がどれだけ尊いかをお伝えいたします。

 

今から書くことは嵐ファンの皆様は周知のことです。悪しからず…

   

翔様は櫻井家の長男として生まれ、生まれながらにして最強のビジュアルを持っていました。この時既にアイドルとしての鱗片を持っているのです。しかしここからトップアイドルに登りつめるまでは相当な時間を有しました。

 

翔様は勉強熱心で慶應義塾大学付属の幼稚舎から通われていた言わばトップオブトップだったのです。

そんな彼はノリでジャニーズ事務所に履歴書を送ります。するとスーッと入れてしまった(1995年10月22日)という天才っぷり。ええ、尊いですね。成績が悪くなったらJr.やめるというご両親との約束の元、ジャニーズJr.としての活動を開始されます。

定期テストの勉強のためにテスト1ヶ月前からはJr.の活動を休止し、勉強に励まれました。その姿を想像するだけで尊いですね。自分が学業に専念することによって自分のポジションが後ろに下がり、振りもろくに覚えていないJr.が自分より前にいる姿を見る度に悔しい思いをしていたそうです。

努力家だった彼でしたが、ちょいツンツンキャラでありまして、その姿がマジ胸キュン。8時だJをご覧になっていた方の中にその姿を覚えていらっしゃる方もいるでしょう。のちに茶髪にカラコン、ピアスとかへそピアスとかしちゃってね。俗に言うちゃららいですね。可愛いですね。

 

1999年、ある転機が訪れます。バレーボールワールドカップですね。つまり嵐デビューです。翔様は一時的なものでジャニーズを辞める気もあった方です。しかし気づいたらハワイにおり、嵐がCDデビューすることをそこで知ることとなります。これが9/15のことでした。

11/3にCDデビュー、スッケスケの衣装で踊らさ…舞うこととなるのです。

 

それからは大学へ進学されます。経済学部でストレートで卒業。これ大学生になった方ならわかると思いますが、割と難しいんです。確かに普通に勉強をしていればストレートで卒業できるのですが、嵐としての活動だけでなくドラマなどのお仕事も同時にこなしていた翔様は尊敬に値するお方です。

 

その後も嵐としての活動を続けて今年は20周年になります。

その間もライブにお客様が入らず悩んだ時期や嵐がバラバラになりはじめていると感じ個室のレストランを予約してそこで嵐の皆様でお話をしたりなど嵐への愛は止まらず、超絶尊い翔様は健在です。

 

NEWS ZEROのキャスターをはじめとした報道番組でもご活躍された翔様。ライブ後にすぐ東京にもどり翌日にはNEWS ZEROに出ていたことは皆様ご存知でしょう。努力家翔様、マジ尊い

 

高学歴アイドルとして老若男女問わず有名になった翔様。後輩たちからも信頼され憧れの存在となっております。

 

37歳になった今でもトップを走り続ける嵐。その嵐を支える一人として櫻井翔様がいらっしゃいます。そんな尊い翔様の勢いはとどまることをしりません。それどころか、ブンブン飛ばしております。

 

1月25日、櫻井翔様がこの世に生を享けたことに感謝をし、皆さま東京に向かって拝みましょう。